ニューハーフの歴史

元々は1980年に大阪のショーパブ「ベティのマヨネーズ」のママであるベティと桑田佳祐が対談をしていた時ベティが「男と女のハーフよ」と言ったのを聞いて桑田が「じゃあニューハーフだね」と言ったのが始まりである[要出典]。

1981年ごろに松原留美子を指すための言葉として広く知られるようになった。松原留美子は「六本木美人」という宣伝キャンペーンのモデルを務め、美貌で大いに話題になった後に、実は男性であると公表し大反響を呼んだ人物。松原は「もし“六本木美女”だったらモデルに応募できないが、“美人”なら男である自分でも大丈夫だと考えた」と語っている。なお松原は、少なくとも当時は一切身体には手を入れていなかったと言われ、「ニューハーフ=身体は完全に男性」という認識があったと見る向きもある。

アメリカでは同様の傾向の人たちを表すことばとして「シーメール」(She-male)が使用されてきた。最近では「トラニー」(Trannie)という言葉も使われる。また、日本では「Mr.レディー」という言葉も使用されているが、「ニューハーフ」よりは少し緩い許容基準で使用されているように思われる(なお「Mr.レディー」の語源は、1978年のフランスイタリア合作映画 『Mr.レディ Mr.マダム』 に由来する)。

過去には、美輪明宏(当時は丸山明宏)などを指す言葉として「シスターボーイ」、またパリのキャバレー「カルーゼル」の性転換ダンサーを指す言葉として「ブルーボーイ」という言葉が生まれたこともあるが、どちらも現在では死語となっている。「シスターボーイ」は女性的な雰囲気の美形男性を指すもので、肉体的には手を入れていない人が主であった。ブルーボーイの方はその後性転換したダンサーだけでなく、性転換して風俗関係で働く人たちなどにも適用範囲が広がっていったが「ブルーボーイ事件」あたりを境目にして使用されなくなっていった。

「ゲイボーイ」という用語は、1960年代頃から女装あるいは性転換して酒場や風俗店などで働く人のことを指して使用されるようになっていた(この言葉は英語での用法とは全く異なるので注意)。松本清張の「時間の習俗」などはゲイボーイがまだ珍しい時代を背景に成立した物語で、1980年代にドラマ化された時はその付近の演出に苦労の跡が見られた。

 
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